ダイエーが再生にあたり60数店舗を閉鎖しつつあるが、ご当地の店舗も10月末に閉鎖される。100円ショップもあり、地下の讃岐うどんが旨くて休日には自転車でよく出かける店である。それと警備保障会社に勤める姪が数年、当店を担当していたこともあり、無くなることを思うとスッポリ穴が開いたような気持になる。
 地下の食品ストアは他社に衣替えされ、残る専門店もあれば撤退する店もあるようだ。閉店セールが行なわれるなか、店頭ではショッピングセンターの新ネーミングを募集していたので、ビール券でも当ればと「カミンングプラザ」という名称に○印を付けて早速応募した。
 1960年代以降の大量消費社会を担ったスーパーの創始者、中内前会長は、それこそ人肉を食うや食わずやの極限状態のフィリピンから戦後、復員して三宮の闇市で薬を扱ってひと儲けしたという。(佐野眞一著『カリスマ中内功とダイエーの「戦後」』より)
 スーパーの原点は大阪・千林の一号店だが、神戸商業高出身で商売の原点は神戸だから、神戸への思い入れは強いものがあろう。
 なお、開店から数年後に千林店を見たことがあるが、なにか狭くて、人ごみがすごくとても余輩の寄り付くところではないとの印象が残っている。しかし、巷では近くにも主婦の店ができたとか、行ってみようなどと女子社員が話題にしていたのも覚えている。 
 
 ところで、中内さんに一度だけ余輩はお逢いしたことがある。それは大阪の千日前で、まだ、オリエンタルホテルもプランタンも手離しておらず、気軽な様子でグループの店舗を視察に廻ってる姿に5年ほど前だと思うが、ばったり出くわしたのだ。
 もうさほど精彩が感じられず、水戸黄門のように2人の男性社員を従えて好々爺の感じで、傘下のファーストフーズの店長と握手したりして、デパートにふらリと消えていった。ひょっとして、ホテルやデパートを手放すやいなやの時期であったかもしれない。あるいは、最後の視察であったものかとも今想像する。
 
 ダイエーが売上拡大を志向する一方で、関東に基盤を置くイトーヨーカ堂が利益志向で勢力を伸ばしたのは対照的で、これがバブル崩壊後の明暗を分けることになったのは承知のことであろう。
 たまたま、思い出したことであるが、オイルショックの前後にヨーカ堂からの商圏調査の依頼を受けて、開店予定の柏市で主婦を対象としたグループインタビューを担当したことがある。何を聴き出すかかといえば、当地での買い物の不便、不満な点である。
 インタビューに先立ち、余輩も既存競合店や大型専門店のフロアをぐるぐる観て廻り、特徴をあらかじめ掌握することに努めた。
 当地の気候や行事などの地域的特性や消費者特性、ニーズに合わせて、いかに商品や店舗に特徴を持たせるかを導き、当地で一番店になるために、地を這うような現場志向のリサーチがいかに大切かを同社の店舗開発担当者にこのとき教えられたことを銘記しておきたい。
 それ以来、出張などで各地に行ったとき、まずスーパーやデパートの地下の食品売場を覗くなどして、当地の食生活の特徴や水準などを観察する悲しい習性が出来てしまった。  
 
 今やスーパーの神様といえば、中内氏よりもヨーカー堂の鈴木敏文会長の名を高からしむるに至ったようだが、ときあたかもヨーカ堂も消費者を呼び戻すべく思い切った再生を迫られていると、今夜のNHKスペシャルは伝えている。      (2005年9月27日)
 
 
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