江戸時代、淀川の旅客船である28人乗りの三十石船を待ち構えて、飲食物の乗り込み販売を業とするのが「くらわんか船」である。
最近買った古本『わが淀川』(井上俊夫著)に、当舟について詳しい記述がある。船宿が上流の伏見には52軒、下流の大坂には24軒あり、坂本龍馬で有名な寺田屋も伏見の船宿のひとつである。
この宿を基点に、例えば、京の伏見港を深夜に出発した三十石船が大阪の八軒家浜(現在の京橋近く)に着くのが早朝であった。 三十石船が旅程の中間地点にあたる枚方にさしかかると、くらわんか舟が漕ぎ寄せて横づけになり、乗り込んできた売人が「起きよ起きよ、寝ぼけの奴ら」「餅くらわんか、酒くらえ」などと怒鳴って、うとうと眠りについていた乗客をたたき起こして、喧嘩ごしで酒食を売りつけたそうだ。
口汚いのは、彼らが河内者であったため?で、大阪町奉行所が悪口禁止のお触れを出したくらいである。『東海道中膝栗毛』の野次さん喜多さんも船上にあって、売り言葉に買い言葉、彼らと騒動を起こしていおり、また当時の狂歌にも詠われているほどに「くらわんか舟」は淀川船旅の名物であった。
淀川の清き流れに濁りたる言葉も味やくらわんか船
喰らう蚊とくらわんか船に起こされて
寝る間も夏の淀の川船
商ひにへつらいもなく言葉までげに現金なくらわんか船
それにしても30石船は28人までの客が乗って、すし詰め、トイレはない、シラミが沢山、異臭紛々という状況。10里(40km)を下りが7時間、上りは陸で3人以上の人夫が綱を曳いて14時間かけての航行である。
2〜3人分席を1人で確保する豪商はまだしも、冬などは一般客は寒さも厳しく大変であった。なお、この枚方浜はトイレ休憩所でもあったのだ。
その乗客の顔ぶれとは、寺社などへの旅人、武士、商人、僧侶、巫女、山伏、俳人、婦女子(実家に帰るなどの)などで、はては巾着切り(泥棒)まで紛れ込んでいた。
現在の淀川は、ときおり、ごみ集積の平船が数隻連なって、ポンポンポンとのどかな蒸気音を放ちながら航行するぐらいであるが、こんな歴史を刻む淀川に、さらに想いを新たにする。
(2005年4月6日)
淀川くらわんか舟
俳句 淀風庵