あらかじめ昨日電話を入れておいたが、堺市(北野田)で開かれた「磯田敏夫一周忌−ネオン太平忌」に参加した。この主催は井村身恒さんが世話人の「オダサク倶楽部」(オダサク映
画祭を過去に2回開催)である。60人ほどが参加。
 
 織田作之助の一番弟子という磯田さんは大阪のユメノクニや大劇地下サロンのアルサロ支配人として、業界でも名をはせ、一方で小説を発表したり(『ネオン太平記』『道頓堀左岸』など)エッセイを夕刊紙に書くなどバイタリティと人情のあふれた方であった。その磯田さんをモデルにした『ネオン太平記』という1968年の日活映画が上映された。
 
 余輩が、ボーイのアルバイトをしていた大劇サロンでロケが行なわれており、懐かしいフロアやボックスシート、地下への階段、バンド、そして白いボーイ服、支配人室など白黒映画だ
けに、なおさら昔に頭がタイムスリップした。(現在、ゲームセンターに化している)

 監督が今村昌平で、主人公の支配人が小沢昭一、妻が園佳也子、脇役に西村晃、桂米朝、三国連太郎、小松左京、そしてオカマホステス役の渥美清などが出演する悲喜劇である。
 小沢は大阪的なアクセントに欠けており、騒ぎすぎであるため磯田さんとは少し違ったが、ねちっこい感じは出ていた。
 
 次いで、磯田さんが亡くなる1年前のインタビュー映像が放映されたが、これは織田作について井村氏の取材に答えるものであった。亡き磯田さんの奥さんと息子さんも来ておられ涙ぐまれていた。なお、奥さんには余輩をあらかじめ紹介いただいていた。
  そして、シネマトーク「織田作が映画に夢見たこと」が井村氏と映画監督の金秀吉氏(キムスギル/在日朝鮮人で今村昌平の弟子)との対話で進められたが、冒頭に、余輩に大劇地下サロンのことを話してくれとの指名があり、支配人の面接のことやクリスマスから正月にかけての喧騒の思い出を話させていただく。
 小沢氏と実際の支配人との感じの違いを監督から問われたが、先のような感想を伝えた。
 
 監督は織田作についての映画を制作する準備を進めており、研究の成果を語っていたが、織田作は映画に出たかったと推理されていたのが興味深い。
 終了後に産経の中井美樹記者と名刺を交換、井村さんは精力的に織田作が戦争前まで夫婦で住んでいた近くの長屋跡へ30人ほどを案内してくれた。今は力餅という食堂になっているが、ここで『夫婦善哉』などが誕生したと聞き、ああ善き哉。なお、映画『ネオン太平記』のシナリオのコピーまで頂いた。   
                  (2005年6月26日)
 

 
 
 
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