25、26日と高野山で行なわれたクラス会には東京や広島からかけつけた者を含めて13名が集う。
当山は弘法大師開山になるが、世界遺産として登録されるに至っている。いたるところに門構えの寺院があり、117寺を数えるそうで、その中で我々の宿坊は改築間もない「上池院」であった。
以前、ある新教団の雇われ坊主とカラオケして宿坊の門限に遅れ、門を叩けど叫べど開門されず、困ったことを思い出す。
夕食前に奥の院の墓群を参観。諸大名の墓群は豪勢さを競うが如くで圧倒されるが、かつてのライバルの織田信長と明智光秀、上杉謙信と武田信玄、石田三成と徳川家の墓所も併存する。
さらに、物故した経営者や社員が祀られたかなりの数の企業墓があり、松下電器、シャープ、クボタ、仁丹など関西系企業のものが目立つ。中にはロケット型の供養塔(新明和工業)やらシロアリ業界の「シロアリ供養碑」まであった。
それと、大東亜戦争における様々な部隊の慰霊碑があり、戦争慰霊墓地としての性格も有していることに気づいた。
ビルマ戦没者慰霊碑、和歌山県特別攻撃隊供養塔、戦艦陸奥殉職者供養塔、伊号第34潜水艦戦士慰霊碑、海軍通信学校第41期慰霊碑、戦没学徒の慰霊塔、沖縄戦戦没者供養塔といった具合である。
宴会広間には人数寂しい白髪連が並び、高野山大の学生が修行を兼ねて作務衣姿で食事の奉仕を務めてくれる。精進料理とはいえ、いろとりどりで、総体的にもっちゃりした食感が特徴といえる。
幹事等からの大学統合問題、学部OBの組織づくり、語劇活動への寄付、次回のクラス会の開催の件と矢継ぎ早に相談話が持ち上がり。雰囲気的に騒ぐわけにもいかず、余輩はビール半瓶と日本酒二合で物足りないまま部屋に戻って、やっと差し入れの冷酒にありつく。
一部屋に再度集ったが、各々、長年の社会経験で培われたというか、垢やアクがついたというか、もって回った口調、くどい主張や建前上の発言が盛り返されるなどして、さらに肝心の代表幹事が高いびきで休眠状態となっては、十分結論がでないままとなった。
7時からの早朝勤行にも参じ、生かされていることへの感謝をしての朝食でご飯2杯とすすむ。
金剛峰寺、根本大塔、徳川家霊台などとお決まりコースを参観。霊宝館では、国宝の八大童子立像、重要文化財の四天王立像(快慶作)、密教曼荼羅など、さすが古色蒼然たる宝物が贅沢に詰まっている。
白髪連による年1度のクラス会もこんな具合で終焉、当地に吾等の供養等でも建てたらどんなものかと思ったりした。
(2005年8月27日)
高野山クラス会
俳句 淀風庵