江戸時代になると、庶民も酒を普段から大いに飲むようになり、飲めない下戸や女性層からは酒飲み上戸に対する風当たりが強くなったものと思われる。
上戸は、飲みたい立場上、数え歌を作ったりして酒の徳をトクトクと説いたりしている。上戸の狂歌師(沸斉)などは
一斗のむ人だにあるを杯の作法も知らぬ下戸のつたなさ
などと下戸の寂しさを一より十の数え歌でもって嘆いている。
これに大いに憤慨した下戸の狂歌師(卜養)、
六でなき人ときいては大方に酒で身をうつたぐひ多さよ
などと酒飲みの悪癖をあげつらう狂歌を作ってたちまち応戦し、まさに酒を巡る上下戸狂歌合戦が展開されたのでありま〜す。
一方、茶が良いか、酒が良いかの論争もあり、水が中に入って両方とも水がなくてはならないじゃなかいと、諭した。
次に、酒対餅の辛甘両派に分かれての合戦も繰り広げられる始末。今度は両党使いの中戸が仲介に入り、両者とも米仲間ではないか、酒も餅もほどほど食べるのがよい、いい加減にしなさいという按配。ところが、上戸は飲みすぎて眠りこけており、下戸は餅をたらふく食べて、こちらも寝ていて、中戸はあほらしくなったとさ。のどかなことですな。
ところで、8月28日NHK教育テレビで放送された「古典芸能大会」での『新版酒餅合戦』は、目が釘付けにされる奇妙きてれつな趣向だった。
内容は、餅と酒がどっちが素晴らしいかの甘辛喧嘩に大根が仲裁に入るというへんてこりんな筋立てで、それぞれを擬人化して花柳寿南海はじめ代表的な女流舞踊家三人が素踊りするものである。
酒を長唄で讃歌すれば、餅を常磐津で持ち上げ、仲立ちする大根を義太夫で説くという踊りと唄の掛け合いが、たかが酒餅の喧嘩であるに、やけに華やかで、かつ滑稽だ。
酒役は気風のいい男舞いで、餅は太目で色白の舞踊家、大根役は可愛い娘風という取り合わせが妙である。
なぜ大根が仲裁を買って出たかといえば、大根は二日酔いにも、食べ過ぎにも良いと自負してのことである。過ぎたるは及ばざるが如しか。
なお、昭和41年、この杵屋正邦の作曲は芸術祭優秀賞を受賞しているのだ。やりとりの言葉も面白く、ビデオに撮っておきたかった。
(2005年1月、8月)
酒茶論や酒餅合戦
俳句 淀風庵