願はくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの 望月のころ
と詠った平安末期の漂白の歌人・西行法師が73歳で亡くなったのが陰暦の2月16日である。新暦でいえば今頃にあたり、西行の願いが叶ったことになる。
 なお、この命日は、江戸末期から明治にかけて伊那地方を放浪した俳人の井上井月と同じである。
 
 西行といえば、現在の淀川と神崎川の交わる所にあった江口と(東淀川区内)いう港で舟遊女と歌合せをしている。西行は天王寺詣での途中、この遊里で一夜の宿をと望んだが、女主人にすげなく断られるやりとりの様子を詠った問答歌である。(新古今和歌集)
  世の中を厭ふまでこそ難からめかりのやどりを惜しむ君かな
                          (西行法師)
  世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ
                       (江口の君/遊女妙)
 また、この歌が後に伝説化して創作された『江口』と題する謡曲がある。その謡曲の筋は、江口の遊里の跡地を訪れた旅僧の前に遊女・江口の君が亡霊となって現れ、かつての西行とのやりとりの話に及び、女の宿に出家の方を泊めるわけにいかなかったことを説明したのち、夜舟での歌舞する様子を再現、そして仮の世での汚れた身であったことを嘆くが、最後には、仏の救いの手が差しのべられて、普賢菩薩と化して白雲に乗り西の空に消え去るという、夢幻の世界が繰り広げられるものである。
 
 現在は、この遊里の跡地に「江口の君堂」(寂光寺)というのが、自宅から自転車で15分位のところに、ひっそりと佇んでおり、昔の華やかさをしのぶよすがさえない。 
 平安の貴族などが淀川を船で難波に下る河口にあたり、また、瀬戸内海の舟はここに着き、川舟に乗り換え、京に上ったのであるが、今では大阪の人でさえ、この里の存在を知る人は少なくなっている。
 以前、ここを訪れたとき薮蚊にさされて大変だったことを思い出したが、身寄りがなく寂しく亡くなった多くの遊女がこの鬱蒼とした木の茂る地に葬られているのである。
 無常といえばそれきりだが、謡曲にあるように成仏されていることと思えば、心が救われる。

 なお、西行とは時代が200年以上さかのぼるが、10世紀の初め、菅原道真が大宰府に流される途中、数千株の小松が生い茂る美しさにうたれて歌を詠まれた所が現在の東淀川区上新庄の小松町である。これにちなみ、道真を祀り造営された天満宮が松山神社であり、梅祭りで賑わう。 江口は小松の近くであり、この時代には西国交通の要路となっていたから、道真も淀川を下り、舟から江口や遊女を眺めたのかもしれない。

 そして、13世紀の初め、法然上人が土佐配流の途中、小船をあやつり、上人の船に接近してきた遊女に対して、汚れ多き女人であっても本願にたよりきって念仏すれぱ、かならず往生するのです説法を行い、遊女達は剃髪し念仏を唱えながら入水したと、伝わっている。ただ、この場所は神崎川でも兵庫の尼崎の方なので、江口とは離れている。
                     (2005年3月10日)

 
 
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