スポーツ選手の養成に新コーチング理論が取り入れられてマラソンなどオリンピックで活躍する選手が増えている。
 従来のコーチは、今でも野球にはこのタイプのコーチが少なくないのであるが、とにかく俺の言うとおりにしろと、選手を強制的に引っ張っていくティーチング法が中心であった。
 これに対して、コーチング理論では、選手自らに取り組むべきことを気づかせることに主眼があり、自ら判断した方向に沿っての練習だから積極的に励むし実も入るので、挫折することが少なく、結果についても他のせいにすることがない。
 
 教育現場でいえば、先生が上意下達で生徒全員に同じ答えを求めるのがティーチングとすれば、生徒一人ひとりの個性に応じて別の答えを引き出すのがコーチングである。

 この理論はビジネスの世界にも応用が進んでいるようである。たとえば、営業活動におけるアプローチにおいても、いきなり、こんな良い商品があるのよ、というダイレクトな説得的な売り込み型は、結果、仕方なく買ったとしても、買わされたとの思いが強く、その場限りに終わるケースが少なくない。
 これに対して、さりげなく、相手の健康や家庭の状況を聞いたりしながら、応酬話法を用いて、相手に多くを語らせて、商品の内容を自ら聞いてみたいと感じてもらうようにもっていく、いわゆるコーチング技法の方が有効であると考えられる。

 相手の方を良く知るには、五感を働かせて相手をよく観察し、何が相手を動かすキーポイントなのかを掌握する必要がある。相手に多くを語らせて、ホンネを嗅ぎ出せ、自信を植え付ける、いわばカウンセラーであり、共に快く動く人間こそが、良い顧客をつくり、良い部下を育てうることになろう。
 上位者だけが情報を得ていた従来のビジネス社会と違い、現在はインターネットの普及などで情報が誰にも得られる時代だから、なおさら命令的な方法では難しいのである。

 「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」は連合艦隊司令長官であった山本五十六元帥の言葉であるが、相手を動かすには納得させ、褒めるこれぞコーチングの理論に適った考え方である。

 そういえば、思い出すことがある。余輩が学生時代に陸上競技部に入るも、ついてゆけない自分に不安を感じていた頃のことである。松本での合宿では腹筋、腕立て、早朝ランニングなど基礎体力の練習は厳しく、やはりついてゆけない自分があった。
 幹部が余輩をどのような種目に進ませるか悩んでいる様子が伝わってきたが、そのときインターハイにも出場したことのある、4年の先輩が一緒にダッシュしようと誘ってくれた。余輩はもちろん全力で走ったが、先輩は少し遅れられた。信じられない余輩に、先輩は笑顔で「○○君、いけるよ」、「前半の走法を、足を叩きつけるようにすれば、もっと記録が出るよ」と。
 競走することによって、それも少し遅れて走ることで自信を与えるとともに、余輩の走り方を観察されて適切な方向性を示されたのであると、いま思う。
 
 その秋の対抗戦の400mリレーで第3走者の先輩は大きくリードして余輩にバトンを渡そうとしたが、受け損ねた。結果は目に見るようであった。最後に期待に応えられずに、苦い思いは残ったが、先輩の温かい気遣いにあらためて感謝したい。
 
 その先輩からは退職後、中津川のほうでバードウオッチングを楽しんでいるとの賀状をいただいた。
                      (2005年4月21日)
 

 
 
 
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