「李白酒一斗」と唐詩に詠まれているのには誰しも驚くが、かつて、ワインや日本酒において、アルコール分がビールと同じぐらいに薄い酒が主流であった時期があったことが判明したのでまとめることにした。

★古代ギリシャ
 ワインが主に飲まれていたが、必ず水で割って飲んでいた。映画の宴会場面でのアレクサンダー大王の飲みっぷりがそれを物語っている。紀元前6世紀の詩人アナクレオンはいつも酒5に水3の割合で飲んでおり、アルカイオスは酒2に水1を好むなど、それぞれこだわりぶりが伺われるが、いずれにしても、7〜9%程度のアルコール分の水割りワインをギリシャ人は飲んでいたことになる。
                   参考:芝田晩成著『酒鑑』

★唐代中国
 詩人の李白は酒を1斗飲んで、なおかつ詩を百篇詠むと杜甫が記していますが、この時代の1斗は現在の三分の一の3升(6リットル)位に相当する。
 また、唐代は醸造酒だけであり、当時の技術ではアルコール度は10%にもならなかったそうだ。現在の日本酒の15、6%からすると薄酒であったのだ。
             参考:村上哲見著『漢詩の名句・名吟』

★江戸時代日本
 江戸中期には、伊丹や西宮、灘の酒が樽廻船を使って江戸に大量に送られた。特に年末には、新酒を運ぶこれら千石船が一斉に大阪をスタートして、江戸への一番乗りを競い、出発と到着の儀式は相当派手なものであった。
 ところが、造り酒屋と問屋がそれぞれ長年の勘にもとづき水で薄めて(玉割り)、小売り屋がさらに薄めたため、結局酒精度は5%位にまで落ちたものと推察されている。
 また、かつて平家水軍の一拠点であった三重の白子港からも酒が江戸に向けて樽廻船で運ばれていたが、途中の三河地方の島で水夫が酒を樽から相当に抜き取り、その分の水を足していたために、江戸に届いた酒はかなり薄くなっていたという。
 そこで思い出すのが、江戸時代の下層民が150円程度の薄くて安い濁り酒を立ち飲みしている場面を詠んだ川柳がある。
 
    「八文は味噌を片手へ受けて飲み」
              
               参考:小泉武夫著『酒肴奇譚』ほか

★戦前日本
 昭和13年、酒飢きんのとき、金魚が元気に泳ぐことができるほどアルコール度の低い日本酒が出回った。もちろん金魚を入れた酒ではなく、割り水が多く薄い酒である。アルコール分は9%しかなかったそうだ。
                   参考:芝田晩成著『酒鑑』

 そういえば、韓国でしこたま飲んだマッカリやドンドンジュも、アルコール分5度程度であり、薄い安酒の系譜なんだ。
                    (2005年3月2日) 


 
 
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