「死んで酒壺になりたい」とか「死んだら墓に酒を注いでほしい」、と詠う愛酒詩人は日本のみならず、中国やペルシャにも現れていることを発見しました。
儚い、あるいは醜い現世にあって、酒こそ我が命という究極の叫びが、この酒壺云々という、あからさまな表現に行き着く点で、地域を超えて共通しているんですね。
●万葉詩人の大伴旅人(8世紀)
なかなかに 人とあらずは 酒壺に 成りにてしかも
酒に染みなむ
●『ルバイヤート』の作詩者オマルハイヤム(ペルシャ12世 紀)
死んだらおれの屍は野辺にすてて、
美酒を墓場の土にふりそそいで。
白骨が土と化したらその土から
瓦を焼いて、あの酒甕の蓋にして。 (第78編)
「死んだら湯灌は酒でしてくれ、
野の送りにも掛けて欲しい美酒(うまざけ)。
もし復活の日ともなり逢いたい人は
酒場の戸口にやって来ておれを待て」
●アラビアンナイト
神よ、神よと呼ぶなかれ、
杯に満ちたる緑酒こそ
世にもすぐれし祈りなれ、
葡萄の下にわれ死なむ、
葡萄の葉より落つる露
土をくぐりて、わが骨を
しとど濡らさむ、薫らせむ。
死ぬと雖も 酒なきは
われに切なき極みなれ
酒壺の詩歌
俳句 淀風庵