たまには掃除しようと、奇特にもウエットシートで書棚を拭いたとたん、その一段が崩落して、一瞬のうちに畳に本が散乱した。あまりの重さでビスの一つが歪んで棚が傾いたせいでだ。 さぞや階下の家庭にはかなり響き、驚かせたことであろう。
落下したのは、並べてあった酒の雑学文庫本や、買って上達した気分になった各国語の積読本が主であったが、日本語下手も省みずというか日本語学校の教材も含まれている。
さらに、裏側に隠してあった、かつての凝りものの遺物たる将棋板やら、余輩が紹介された『万馬券四季報'94』、裁判沙汰になっ教祖の台湾語版書籍などもこぼれ落ちていた。
あ〜あ、清濁併せて色々なことに熱中してきたものである哉。 (2005年8月10日)
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今日は女人から気ちがい呼ばわりされた。
リタイアしてからというもの家に趣味を持ち込み、酒の関係を中心として古本を買いあさって積んであるが、前々から「ええ加減にしてよ、狭い部屋に、汚い」と文句を言われていたが、ゴマ粒より小さな虫が大量に這い回ったもんだから、これまた古本が持ち込んだ災いと決め付けた女人に、先のように揶揄されたのだ。
古本は、毎日窓から強烈に射し込む日光に晒されているから、普段から虫干しになっているはずだし、何ゆえ離れたキッチン辺りに虫が発生しようか。
しかし、考えてみれば、その時々において、夢中になってビデオを借りまくったり、環境の本や諸団体資料を駆けずり集めたり、宗教関係の資料で埋まったり、語学書を買いあさって上手くなったつもりになったり、司馬遼太郎の歴史小説の文庫本を溜め込んだり、著作権切れの安い音楽CDを露天で漁ったり、競馬の万馬券資料や新聞を隠し集めたりといった具合で、仲間からも、無我夢中になりすぎるからなぁと、諭されたこともあった。
でも、この余輩の「生きがい」を、言うに事欠いて、「気ちがい」とは! 勘違い、すれ違いの発言もいいとこだ、文化や価値観が違うんだよぉ…。
そして、ついには、本を実家に送ってしまってよ、とまでのたまう始末。あ〜あ、ちゃんとした書斎を構える人が羨ましい哉。
(2005年8月18日)
気ちがいと生きがい
俳句 淀風庵