種田山頭火は昭和の初期から太平洋戦争の始まる前まで、托鉢行脚の旅に彷徨い、旅即俳句、旅即酒の雑草のような漂泊放浪生活の中で、酒を主題とした自由律の俳句を数多く詠んでいます。
酒は飲むのではなく、味わうものであり、酒に遊ぶのであると言いながら実は泥酔流転、赤裸々に生きて昭和15年に58歳で往生した酔いどれ仏使の遊行の酒句をまとめてみました。
山頭火の俳句の特質は、嫌悪せずにおれない己の性、だけど、いや、だから優しく包んでくれる自然に話しかけずにおれない“語り句”のように思われます。そして、本人の暗い気持ちと対照的に、清明に、飾らずに表現されている自然の息吹や輝き、そこに読む者は哀歓を感じるとともに癒されるのだと思います。 由 無
参考:春陽堂『酒仙の句』
石寒太『山頭火』、金子兜太『種田山頭火』ほか
山頭火 吟遊酒句
酔うてこほろぎと寝ていたよ
酔うて戻ってさて寝るばかり
酔うていっしょに蒲団いちまい
酔うて闇夜の蟇踏むまいぞ
酔ひざめの花がこぼれるこぼれる
酔ひざめの闇にして蛍さまよう
酔ひざめの悔に似たものが星空の下
酔ひざめの風のかなしく吹きぬける
酔ひざめのどこかに月がある
酔ひざめの星がまたたいている
酔ひざめのつめたい星が流れた
酔ひざめの霰にうたれつつ戻る
酔ひざめの春の霜
酔ひざめの風がふく筍
酔ひざめの水をさがすや竹田の宿で
酔ひざめはくちなしの花のあまりあざやか
酔ひしれた眼にもてふてふ
酔ひしれた月がある
酔ひたい酒で、酔えない私で、落椿
酔ひどれも踊りつかれてぬくい雨
酔ひきれない雲の峰くづれてしまへ
酔ふほどに買へない酒をすするのか
酔へばあさましく酔はねばさびしく
酔へばはだしで歩けばふるさと
酔へばけふもあんたの事
酔へばいろいろの声が聞こえる冬雨
酔へばいらたる癖暑う衆に交りいて
酔へば物音なつかし街の落花踏む
酔へばさみしがる木の芽草の芽
酔へなくなったみじめさはこほろぎがなく
種田山頭火
明治15年山口県防府生まれ、早大文科中退、43歳で出家得度、52歳から各地を行脚、昭和15年58歳で酔死。