与謝蕪村は芭蕉が没して22年後に大阪で生まれていますが、師と仰ぐ芭蕉の「奥の細道」の足跡を辿るなど各地を俳諧行脚して修行に努め、後半生は京で宗匠として過ごした文人墨客です。
なお、蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」や「春風や堤長うして家遠し…」(春風馬堤曲)と詠まれている場所からは、私の住処・淀風庵はほど近く、淀川辺りに佇めば、その風景は今でも容易にイメージできます。 閑話休題。
蕪村の酒句について言えば、自らが酒にのめり込むような雰囲気は感じられず、詠まれた酒句は少数です。しかし、酒のある生活場面を客観的に、しかも親しみを込めて描写しており、この時代のほのぼのとした酒のある庶民の生活を彷彿とさせますね。 由 無
参考:『蕪村俳句集』(岩波文庫) 藤田真一『蕪村』(岩波新書)
蕪村ほんわか酒句
酒十駄ゆりもて行や夏こだち
主しれぬ扇手にとる酒宴哉
鮓を圧す我酒醸す隣あり
柚の花や能酒蔵す堀の内
あま酒の地獄もちかし箱根山
愚痴無知のあま酒造る松が岡
御仏に昼備へけりひと夜酒
故郷や酒はあしくと蕎麦の花
秋風に酒肆に詩うたふ漁者樵者
鬼貫や新酒の中の貧に処す ※
升飲の値は取らぬ新酒哉
漁家寒し酒に頭の雪を焼く
酒を煮る家の女房ちょとほれた
いざ一杯まだきににゆる玉子酒
炉開きや雪中庵の霰酒
秋
冬
夏
(ひと夜酒=甘酒)
与謝蕪村
1716年大阪淀川べりの毛馬村に生まれ。20歳になるや江戸におもむき俳諧の世界に出会う。各地を行脚した後、36歳のときから京に住みつく。俳句だけでなく南画や俳画にも秀でたいわゆる文人墨客で、「やぶ入や浪花を出で長柄川」で始まる『春風馬堤曲』も名作。1783年芭蕉の百回忌追善俳諧興行に出座したが、年末に没す。享年68歳。
旅人や菊の酒酌む昼休み
ありわびて酒の稽古や秋のくれ
恋にせし新酒呑みけりかづら結
よく飲まば値はとらじ今年酒
永き夜を半分酒に遣ひけり
長き夜や余所に寝覚し酒の酔
大名に酒の友あり年忘
※ 鬼貫は伊丹の造り酒屋の三男に生まれましたが、東の芭蕉、 西の鬼貫と言われた位、元禄時代における俳諧の巨匠 でした。 しかし、酒句は3句しかみあたりません。
賤の女や 袋あらひの 水の色
いざさらば 濁酒のうで 千鳥きて
盃や先ず打ち笑ふ花の春
蕪村と交遊のあった炭太祇(たんたいぎ)の酒句
はつ雪や酒の意趣ある人の妹
はつ雪や医師に酒出す奥座敷
下戸一人酒に逃げたる火燵哉
盃を持て出でけり雪の中
親も子も酔へばねる気よ卵酒
盃になるもの多し卵酒