酒讃ルバイヤート抄
 『ルバイヤート』はペルシャ(現イラン)の科学者で、哲学者でもあるオマル・ハイヤーム(1040〜1123年)が異民族の支配下の時代に、したためた起承転結の四行詩(=ルバイヤート)143首からなる詩集です。
 インド語学部における先輩にあたる陳舜臣氏は、戦中の青春時代に学究の書として常時この詩集を携えられていたそうですが、それから60数年を経てこのたび訳書を刊行されるに至りました。その中でハイヤームの世界観や人生観について、来世に対して否定的で、現世を享楽すべきという「宿命論的享楽主義」と解釈されています。
 争いごとの絶えず苦悩に満ちたこの現実世界ではあるが、折角授かった生、刹那であれ楽しく送りなさい、そして、苦を忘れさせ、楽しい思いの一瞬(いっとき)を過ごさせてくれる酒をこよなく愛し、人生を謳歌せよ、というのが彼の境地といえましょう。なお、この場合の酒は葡萄酒のことです。
 したがって、神を信じるとか、来世のために徳を積む、瞑想して悟りを得る、無常観から遁世するなどという一般の宗教の価値観とは相容れないものです。逆に、唐代の詩人であり酒仙の李白の「浮生は夢の如し、歓びを為すこと幾ばくぞ」「所以に終日酔い」といった人生観とか美学に近いものを感じます。
 詩全体は、深い思想や鋭い批判精神、透徹した論理に拠りながら、直截的な比喩、平明な言葉、流麗な文体を用いて表現されています。本編では小川亮作訳書から14首を選んで、ハイヤームの人生・酒哲学を概観していただきます。    由 無
           参考:陳 舜臣訳『ルバイヤート』(集英社)
             小川亮作訳『ルバイヤート』(岩波文庫)
 
われらが来たり行ったりするこの世の中、
それはおしまいもなし、はじめもなかった。
答えようとて誰にはっきり答えられようー
われらはどこから来てどこへ行くやら? (10)

苦心して学徳をつみかさねた人たちは
「世の燈明」と仰がれて光りかがやきながら、
闇の夜にぼそぼそお伽ばなしをしたばかりで、
夜も明けやらぬに早や燃えつきてしまった(12)

魂よ、謎を解くことはお前には出来ない
さかしい知者の立場になることは出来ない。  
せめては酒と盃でこの世に楽土をひらこう。
あの世でお前が楽土に行けるときまってはいない。                     (4)

われは酒屋に一人の翁を見た。
先客の噂をたずねたら彼は言った――
酒を飲め、みんな行ったっきりで、
一人として帰っては来なかった。   (48)

幾山川を越えて来たこの旅路であった、
どこの地平のはてまでもめぐりめぐった。
だが、向こうから誰一人来るのに会わず、
道はただ行く道、帰る旅人を見なかった。(49)

酒をのもう、天日はわれらを滅ぼす、
君やわれの魂を奪う。
草の上に坐って耀う酒をのもう、
どうせ土になったらあまたの草が生える!(64)

墓の中から酒の香が立ちのぼるほど、
そして墓場へやって来る酒のみがあっても
その香に酔い痴れて倒れるほど、
ああ、そんなにも酒をのみたいもの!  (80)
死んだらおれの屍は野辺にすてて、
美酒を墓場の土にふりそそいで。  
白骨が土と化したらその土から
瓦を焼いて、あの酒甕の蓋にして。   (78)

愛しい友よいつかまた相会うことがあってくれ、
酌み交わす酒にはおれを偲んでくれ。
おれのいた座にもし盃がめぐって来たら、
地に傾けてその酒をおれに注いでくれ。 (83)

恋する者と酒のみは地獄に行くと言う、
根も葉もない戯言にしかすぎぬ。
恋するものや酒のみが地獄に落ちたら、
天国は人影もなくさびれよう! (87)

夜は明けた、起きようよ、ねえ酒姫
酒をのみ、琴を弾け、静かに、しずかに!
相宿の客は一人も目がさめぬよう、
立ち去った客もかえって来ぬように! (115)

酒をのめ、それこそ永遠の生命だ、
また青春の唯一の効果(しるし)だ。
花と酒、君も浮かれる春の季節に、
たのしめ一瞬を、それこそ真の人生だ!(133)

もうわずらわしい学問はすてよう。
白髪の身のなぐさめに酒をのもう。
つみ重ねて来た七十の齢の盃を
今この瞬間でなくいつの日にたのしみ得よう
                  (141)
いつもで一生をうぬぼれておれよう、
有る無しの論議になどふけっておれよう?
酒をのめ、こう悲しみの多い人生は
眠るか酔うかしてすごしたがよかろう!(143)
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