心平・鱒二の日本酒詩
草野心平と井伏鱒二はともに明治の30年代に生まれ、大正・昭和の時代に活躍した作家です。それぞれ愛してやまなかった日本酒を讃えた詩を紹介します。 由 無
大きなエイ型の北の島から。
開聞岳の見える海辺の村まで。
ニッポン全土に。
ニッポンの酒はゆきわたる。
舌の上から丸まっておちる。
琥珀色の液体の。
もやのような芳香と芳醇と。
よき哉。
讃うべき哉。
古事記の人々。
その独自な発明の知恵。
その陶然と浩然と歌と踊りを。
現代の。そして未来の友よ。
賞めたたえよ。
美しいニッポンの。
ニッポンの酒を。
草野心平
1903年(明治36年)〜1988年。福島県の現・いわき市の生まれ。「蛙の詩人」と呼ばれ蛙を主題にした詩が多い。生前の宮沢賢治を評価したことでも知られる。
今宵は仲秋名月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあわせ
よしの屋で独り酒をのむ
春さん蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿
ああ 蛸のぶつ切りは臍みたい
われら先づ腰かけに坐りなほし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ
今宵は仲秋名月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあわせ
よしの屋で独り酒をのむ
井伏鱒二「逸 題」
草野心平「日本の酒」
井伏鱒二
1898年(明治31年)〜1993年。広島県福山市出身、早大中退。1937年に『ジョン萬次郎漂流記』で直木賞を受賞。
「李白大いに飲む」
旧暦の九月九日。
重陽の節句のまひる。
李太白は竜山に登った。
安寧省当塗県の南にある
竜がうずくまっているような
山である。
大杯の酒に菊の花をうかせ。
菊の香をかぎながら。
大いに飲んだ。
風興って帽子を飛ばし。
転々転がってゆくその帽子を
太白は。
ひとごとのように眺めていた。
李白は今や追放の身である。
ままよ。菊の香ごと。ままよ。
大いに飲まん。
太陽が没し月が出てきた。
ガウン状の衣装をひるがえし。
李白は悠悠々の舞を舞い
はじめた。