中原中也の独酒詩(2)
ここに紹介する「冬の長門峡」は彼の死後に発刊された第二詩集『在りし日の歌』に所載の絶唱です。 「渓流」も中也が亡くなる直前に発表した詩で悲哀の深さが分かります。
由 無
参考:大岡昇平『中原中也詩集』(岩波文庫)
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BGM:ソナタ「テンペスト」より
MIDI作者:konon
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俳句 淀風庵
渓流で冷やされたビールは、
青春のように悲しかつた。
峰を仰いで僕は、
泣き入るやうに飲んだ。
ビショビショに濡れて、とれさうになつてゐるレッテルも、
青春のやうに悲しかつた。
しかしみんなは、「実にいい」とばかり云つた。
僕も実は、さう云つたのだが。
湿つた苔も泡立つ水も、
日陰も岩も悲しかつた。
やがてみんなは飲む手をやめた。
ビールはまだ、渓流の中で冷やされてゐた。
水を透かして瓶の肌へをみてゐると、
僕はもう、この上歩きたいなぞとは思はなかつた。
独り失敬して、宿に行つて、
女中(おねえさん)と話をした。
(1937.7.15)
渓流(たにがわ)
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
われは料亭にありぬ。
酒酌みてありぬ。
われのほか別に、
客とてもなかりけり。
水は、恰も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。
やがて蜜柑の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。
あゝ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。
冬の長門峡