三好達治・丸山薫酒詩
三好達治と丸山薫はともに大正から昭和にかけて名声を高めた抒情詩人であり、詩誌「四季」を創刊した編集同人です。三好が詩友の丸山に送った「孤独や失望や貧乏や 日々に消え去る空想や ああながく われら二十年もそれをうたった われらは辛抱づよかった そうしてわれらは年をとった …詩のなげきで年をとった ではまた気をつけたまへ 近ごろは酒もわるい!」という言葉が印象的です。
酒の詩を各一編紹介しますが、いずれも孤独な情感が凛と漂っていますね。なお、二人は草野心平や井伏鱒二と同世代人です。
由 無
参考:木田元『詩歌遍歴』
日もくれぬ
日も暮れぬ己が盞(さかづき)を
みたせただ余はそらごとぞ
己が詩をみづからうたへ
月やがて松にかからん
盞は
盞はちひさけれども
ただのむ夕べの友ぞ
おほかたはひとをたばかる
世にありてせんすべしらに
炉に臥して
炉に臥して憂ひをいだく
肱枕さむきをのべて
ありなしとしたしむ盞
鳥よりもくしきこゑしぬ
月山の
月山の端をいでたれば
われもまた盧をいでぬ
人の子のおろかを笑へ
かなたにも友はすまぬを
三好達治
明治33年(1900年)大阪市に生まれ、昭和39年 (1964年)死去。陸軍士官学校へとすすむが中退し、三高(現京大)を経て、東京帝国大学文学部仏文科に進む。丸山薫の影響で詩作をはじめ、昭和5年には処女詩集「測量船」を刊行し、知的な抒情や古典的な表現などによって詩人としての名声を決定づける。作品は千編を越え厖大。ボードレール訳詩集も著す。
船長がラム酒を飲んでゐる。
飲みながらなにか唄ってゐる。
唄はしわがれてゆっくり滑車が帆索に回るように哀しい
鴎が羽根音をひそめて艫の薄闇を囁いて行った。
やがて、河口に月が昇るのだらう。
船長の胸も赤いラム酒の満潮になった。
その流れの底に
今宵も入墨の錨が青くゆらいでゐる。
丸山 薫「錨」
三好達治「村酒雑詠」
丸山 薫
明治32年(1899年)大分市に生まれ、東京商船学校を退学後、三高に入るが、海や船にまつわる詩には彼の世界が見られる。代表詩集は『帆・ランプ・鴎』。昭和49年(1974年)に死去。
俳句 淀風庵