吉野弘・酒痴の詩
吉野弘は、日常生活の中に転がっている苦い想いをモチーフにして、平易なことばで淡々と綴る詩が印象的な現代詩人です。ここに紹介します「酒痴」は、独り酒に浸る男の最後の一滴までに拘る情景と心情が語られており、笑うに笑えない哀しさ、ほろ苦さが醸し出されています。“少女の胸のように”の比喩が胸に来ますね…。
氏の“二人が睦まじくいるためには愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい 立派すぎることは長持ちしないことだと気付いているほうがいい…”という「祝婚歌」は作曲もされており、結婚式などで歌われています。由 無
参考:『続続・吉野弘詩集』(思潮社)
郷原宏選著『ふと口ずさみたくなる日本の名詩』
一日の終り
独り酒の顛末を最後まで鄭重に味わう
酒痴
殆ど空になった徳利を、恭しく逆さにして
縁からしたたるものを盃に、しかと受けとる
初めに、二、三滴、素早く、したたり
やがて間遠になり
少し置いて、ポトリ
少し置いて、ポトリ
やや長く途切れたあと
新たに、ゆっくり
縁に生まれる、ふくらみ一つ
おもむろに育ち、丸く垂れ、自らの重さに促
されて
つと、盃に飛び込む
一滴の、光る凱旋
長く途切れたあと
少し傾げた徳利の縁に
またも、微かにふくらみかける、兆し一つ
しかし、丸い一滴へと、それがなかなか生長
しないのを
急には育たない少女の胸のように
いとおしみ、見て
オイ、どうした、急げよ
などと
お色気なしの、平らな胸の、清楚な愛らしさ
をからかいながら
それが丸く育つまで
逆さの徳利を静かに支え、じっと見守っている
深夜の
酒痴
うん十歳です
悪戯、します
ふところ、空きます
お酒、たっぷり飲みます
遊び心、あります
毎晩呑みます
早寝、しません
休日は、ご機嫌です
肩こりです
ダメージ、まだです
男性です
筋肉質です
おしめ、まだしてません
「酒 痴」
吉野 弘
大正15年(1926年)、山形県酒田市生れ。「夕焼け」「祝婚歌」は作曲されている。
(詩集『自然渋滞より』)
吉野弘「紹介」詩に擬えて
編者の自己紹介