サトウハチロー酒詩
その豪放磊落な風貌からは想像しがたい、優しく繊細な詩。とくに母への想いを綴った詩は幾つになって読んでも、ほろりとさせられます 。 戦後、のど自慢でよく歌われた「リンゴの唄」「長崎の鐘」そして 「小さい秋みつけた」も彼の作詞、ということを知りました。
ところが、ハチローは不良少年でした。落第3回、転校8回と勘当を17回も繰り返し、詩人になってからも留置場に何度も入る始末。
このようなハチローの放蕩・蛮行と詩情とは、整合しそうにはみえませんが、抑えきれない本能的欲情行動、それを浄化するかのごとき無邪気な童心の詩が併存しているのです。なにか山頭火に通じるものがあります。
「やけ酒」「ドライジンの」という2編の、やるせない酒の詩を紹介しましょう。 由 無
参考:『サトウハチロー詩集』(角川春樹事務所)
にくい くやしい
なさけない
せめて やけ酒
ひとあほり
涙といっしょに
のみほして
からりと みんな
忘れたい
まづくて からくて
ほろにがい
好きで のむんぢゃ
ないものね
深酒およしと
とめたひと
いまじゃ このさま
茶 碗 酒
つらい 酔ひたい
泣き伏したい
身も世もないほど
くづれたい
ドライジンの
ラッパのみ
からだによく無えのは
よっく とっく ごぞんじだ
のどにしみこむ
松ヤニの匂い
こいつに
おふくろの味がある
おふくろの味があるから
なおのむんだ
ラッパでやっつけると
ぐーんとくるんだ
てなこと ほざいたら
ジンの野郎がむせさせやがった
むせりゃ やっぱり
泪ときた
ドライジンの
やけ酒
サトウハチロー
明治36年(1903年)、東京生まれ。16歳で西條八十の門弟となり、1 8歳のときに童謡、童話を雑誌や新聞に発表。23歳で処女詩集『爪色の雨』を出版。
昭和初期は、東京浅草・エノケン一座の座付き作家。「麗人の歌」「二人は若い」「あゝそれなのに」など、映画主題歌も作詞。
その後、ユーモア小説や母の詩でも人気を博す。
昭和48年(1973年)に死去。