中原中也の独酒詩(1)
中原中也もランボーなどフランスの近代詩人の影響を受けて昭和初期に新しいダダイズムの風をもたらしました。
彼も住所定まらず流転の生活を送っておりますが、酒はあまり強くなく、飲み始めると仲間にも絡むので交際いにくかったそうです。酔っぱらって器物破損で』留置場に入れらてもいます。
由 無
参考:大岡昇平『中原中也』(角川文庫)
同 『中原中也詩集』(岩波文庫)
山本祥一朗『作家と酒』(大陸書房)
中原中也
明治40年に山口県に生まれ、17歳時に女性と同棲、昭和8年東京外国語学校仏語部卒。その作風は象徴派のランボー、ベルレーヌなどの影響を受け、ランボーの訳詩集も出版、昭和12年、脳腫瘍により30歳で夭逝。
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BGM:ソナタ「テンペスト」より
MIDI作者:konon
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俳句 淀風庵
酔客の、さわがしさのなか、
ギタアルのレコード鳴って、
今晩も、わたしはここで、
ちびちびと、飲み更かします
人々は、挨拶交はし、
杯の、やりとりをして、
秋寄する、この宵をしも
これはまあ、きらびやかなことです
わたくしは、しょんぼりして、
自然よりよいものは、さらにもないと、
悟りすましてひえびえと
ギタアルきいて、
身も世もあらぬ思ひして酒啜ります、
その酒に、秋風沁みて
それはもう結構なさびしさでございま
した
カフェーにて
夜の空は、広大であった。
その下に一軒の酒場があった。
空では星が閃めいてゐた。
酒場では女が、馬鹿笑ひしてゐた。
夜風は無情な、大浪のやうであった。
酒場の明りは、外に洩れてゐた。
私は酒場に、這入って行った。
おそらく私は、馬鹿面さげてゐた。
だんだん酒は、まはっていった。
けれども私は、酔ひきれなかった。
私は私の愚劣を思った。
けれどもどうさえ、仕方はなかった。
夜空は大きく、星もあった。
夜風は無情な、波浪に似てゐた。
夜空と私
朝、鈍い日が照ってて
風がある。
千の天使が
バスケットボールする。
私は目をつむる、
かなしい酔ひだ。
もう不用になったストーヴが
白っぽく錆びてゐる。
朝、鈍い日が照ってて
風がある。
千の天使が
バスケットボールする。
宿 酔