あゝ孤愁の酒場詩
近代詩人の酒場において詠んだ詩三題を紹介します。萩原朔太郎は大正6年の『月に吠える』でまったく新しい感覚の口語自由詩で世間を驚かせ、室生犀星は哀愁孤独をうたう抒情詩人として活躍しまた。
二人とも住所定まらず流転の生活を送っており、酒を詠い込んだ詩においても、漂泊の孤独な影が漂っていると思います。 由 無
参考:『萩原朔太郎詩集』(角川春樹事務所)
『日本の名随筆11 酒』『酔っぱらい読本・弐』
坂を登らんとして渇きに耐えず
蹌踉として酔月の扉を開ければ
狼藉たる店の中より
破れしレコードは鳴り響き
場末の煤ぼけたる電気の影に
貧しき酒瓶の列を立てたり。
ああ この暗愁も久しいかな!
我れまさに年老いて家郷なく
妻子離散して孤独なり
いかんぞまた漂泊の悔を知らむ。
女等群がりて卓を囲み
我れの酔態を見て憫みしが
たちまち罵りて財布を奪ひ
残りなく銭を数えて盗み去れり。
萩原朔太郎
明治19年に群馬県前橋に生まれ、学校を転々とした放浪生活の後、32歳時処女詩集『月のに吠える』を出版。昭和17年57歳で永眠。
萩原朔太郎「珈琲店酔月」
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
BGM:ソナタ「テンペスト」より
MIDI作者:konon
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
酒場にゆけば月が出る
犬のように悲しげに吼えてのむ
酒場にゆけば月が出る
酒にただれて魂もころげ出す
室生犀星「酒 場」
室生犀星
明治22年に金沢市に生まれ、白秋の引き立てで詩壇に登場。萩原朔太郎らと交流を結ぶ。後に苦しい半生を題材に自伝的小説を数多く発表。「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの…」の詩は有名。昭和37年他界。
夜の酒場の
暗緑の壁に
穴がある。
かなしい聖母の額
額の裏に
穴がある。
ちっぽけな
黄金蟲のやうな
秘密の
魔術のばたんだ。
眼をあてて
そこから覗く
遠く異様な世界は
妙なわけだが
だれも知らない。
よしんば
酔っぱらっても
青白い妖怪の酒盃は、
「未知」を語らない。
夜の酒場の壁に
穴がある。
萩原朔太郎「夜の酒場」
俳句 淀風庵
私はいまでも
一人きりになってさびしい街裏をたづねてゆく
そこで静かに酒をのむ
誰とも行ったことのない
誰にも知らない湿々した小路の奥で
ひとり坐ったなりで
野に置かれたやうに長い時間をおくる
雨のときはぬかるみにかげをおとして
ぬかるみを拾ひ歩きして
うすぐらく
路次のおくをたづねてゆく
そこで私はがりがりと何かをたべてゐる
むりに子供のくちへおしこむやうな食べものが私に強ひられる
そうして酒をのむ
いろいろな人間の心が其処に坐ってゐる時みな浮きあがってくる
「街 裏」