坂口謹一郎先生の酒造讃歌
酒の博士とも言われたわが国の発酵学の権威、坂口謹一郎先生(元・東大名誉教授)は歌にも長じ、歌集『発酵』を発表されいます。
著書には『日本の酒』(岩波新書)、『古酒新酒』(講談社)、
『愛酒楽酔』(講談社)、『酒学集成』全5巻などがあります。
歌集から酒造りの現場で、科学者らしく鋭い観察力で、しかも情緒を込めて詠まれた歌などを紹介しましょう。 由 無
参考:『日本の酒』(坂口謹一郎、岩波新書)
『愛酒楽酔』(坂口謹一郎、講談社文芸文庫)
うまさけはうましともなく飲むうちに酔ひての後も口のさやけき
庫のうちゆもろみの香りけざやかに梅さく庭にあふれ出でつも
かぐはしき香り流るる庫のうち静かに湧けりこれのもろみは
留うちて後は静かやあけくれにうつろふ泡のゆくえをぞもな
冷え冷えと寒さに身にしむ庫のうち泡のつぶやく音かすかなり
湧きやみて桶にあふれし高泡もはだれの雪と消え落ちにけむ
泡蓋を掻けばさやけきうま酒の澄みとほりてぞ現れにけり
泡分けてすくひ取りたる猪口のうちふくめばあまし若きもろみに
待ちえたる奇しき香りたちそめて吟醸の酒いま成らむとす
夜のうちに湧きつきにけりフラスコの液のおもてに泡ぞみなぎる
つつしみて護りし種ゆまさしくもたふときいのち生れいでにけり
うたかたの消えては浮ぶフラスコはほのくもりて命こもれり
たまゆらに視野を横切るものありて待ちはてにつる心ときめく
うま酒をもればほのかに濡れわたるこの盃の赤埴の膚
わたつみのあこやの玉の盃は琥珀の酒をもるべくあるらし
もろこしの青磁の玉の盃にうま酒酌みし宵はわすれじ
きみとくむうまさけの味わすれかねつさかつきとれば君ししのばゆ
ひとたびは世もすてにし身なれども酒の力によみがへりぬる
とつくにのさけにまさりてひのものとのさけはかほりもあぢも
さやけき
酒という気まぐれものにだまされてひともめいわくわれもめいわく
うつりゆく世相横目にこの余生いかに生きなむと盃に対する
酒によりて得がたきを得しいのちなれば酒にささげむと思い切りぬ
俳句 淀風庵