その名を陳珍吉といい、齢七十を越え、かなり前にチンドン屋稼業をやめてからというもの、賃貸の朽ちた文化住宅に住んではいたが家賃を滞納して追われ、年金とて生活保護とてない身、西成の木賃宿にも泊まるわけにゆかず、今や淀川辺りでちんまりと青テント暮らしをしている。
 ときおり、昼間から河原の一樹の陰で催されるテント仲間の飲み会で缶ビールや焼酎のお相伴にあずかったり、気さくな立ち呑み屋で空缶回収で得た小銭で一杯引っかけるのが楽しみ程度である。パチンコ店で玉を拾って打つこともあるが、チンチンジャラジャラとはゆかず、店員にとがめられる始末。

 陳舜臣という同姓の作家がいるが、この陳珍老、年齢的にも近く、親が台湾出身であること、そして神戸の南京(ナンチン)街近くに生れたことにおいても共通点があるが、素性について多くを語ろうとしない。戦時中は、一中在学中に川崎重工の造船所などいくつかの工場で勤労する、昭和二十年三月の昼夜をわかたない神戸空襲によって一家をなくし孤児となり、戦後は三宮から元町に連なる高架下の闇市をさまよったという。 

 ―『火垂るの墓』(野坂昭如著)の主人公を思い出すが、清太少年は神戸一中の生徒と設定されている。一中には『日本沈没』の作者、小松左京もこの時期通っている。もっと年長では白洲次郎、竹下夢二、今日出海が同窓である。―

 陳老の容貌といえば、真鍮色の顔に深い皺が刻まれ、顎が外れたような珍奇なかつ愛嬌のある顔である。狆も驚くような、ちんくしゃとはこのような顔をいうのであろう、さらに短躯なところまで似ている。この歳になっていつも黒眼鏡で素顔を隠しているのは、己が正体を露わにしたくないがためか、月亭可朝や野末陳平、山本晋也、タモリ、テリー伊藤等のタレントが、間の抜けた?顔を見せたくないがごとく。

 ―織田作之助フアンの方なら、この書き出しで『ニコ狆先生』という短編小説を想起されよう。甲賀流忍術の道場主である別名、ニコ狆先生の物語。何を隠そう、この珍妙小説を厚かましくも承継するのが拙記である。―

 いっときは、天王寺公園や新世界界隈で、珍妙法蓮華経…ちちんぷいぷい…≠ニ妙ちくりんな呪文を唱えて煙に巻く猿飛佐助を真似た珍術やらの大道芸を生業にしたこともあったが、この珍無類な容貌を買われて、戦後復活した大阪は南新地で、ちんとんしゃん♪なんぞの座敷で幇間を務め、あそこを開陳しての威勢よい「ふるちん音頭」に始まり、芸者との「チンチン花電車」というきわどいお座敷芸で客をもてなした。
ちん棒?に毛筆をつけて、文鎮で押えた半紙に字を書くちん技≠ヘ手で書くよりも上手なちん前≠ナあったらしい。また幇間芸のひとつに声色があるが、珍吉の場合、鳥や虫の鳴き真似が得意で、例えばコオロギの呼び鳴き、口説き、脅しの鳴き分けが出来、松虫のチンチロチンチロチンチロリン≠ニいうソプラノ調の音色は絶妙だったという。
 こんな身体を張った仕事によって、繊維景気で財をなした客筋などからのご祝儀をがっぽり稼いだこともあったそうだ。 (続く)  
                           

 

                 
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 織田作之助のユーモア小説や中島らもの小咄に、そしてブログ仲間の創作に触発されて、電子レンジでチンした人肌燗の酒を飲みながら?書き綴った馬鹿ばかしい“ちんづくし物語”、先祖様なにとぞご笑覧いただけますよう戦後61年盂蘭盆会にチンとりんを鳴らして謹んで奉納申し上げます。
                   平成18年8月15日 淀風庵由無 記
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