さらに調子づいて狛犬は、
「おい、珍宝とかよ、ちんころはこれからどうしたいのか、申せ。余は主神様を守護する番犬ぞ、貴様の志次第では良きに取りはかろう」
と、犬なで声を交えて低く唸るのであった。
「憚りながら、狆ではなく狛犬様のような高貴にして神妙なる犬神に転生しとうござる」
 と、珍宝は嘆願する。
「なにをこしゃくなチンピラめ、我こそは主君の一の重鎮、鬼夜叉の生まれ変わりしもの。狆は狆らしく、狆クシャ、珍にして妙なる容姿で生まれ変るのが神の摂理じゃ、身分をわきまえろ、前世に贅沢をほしいままにした狆果応報ぞ」
と、とってつけた駄洒落をまじえながらも容赦なく、夜叉のごとく口も裂けんばかりに獅子吼する。  

 さすが、小首をかしげるおとなしいだけの珍宝ではない。カチン!と頭にきて、丸いうるうる眼をさらに見開き、薄汚れた長い被毛を小刻みに震わせ、チンチクリンな体ながら片脚を思い切り上げて、唸りながらこましゃくれた狛犬の足元に小便を引っかける、さすが忠犬ぶりであった。
「ああ、我が狆ころ珍生に悔いはなし」

 拝殿に奉納してあった「かっぱ緋桜」という伏見銘酒の角樽を開けて口に注ぐ陳老、怒りも沈静し、空腹に早くも酔いが回って、昔、謡いなれた都々逸を唸り始めた。
「酒を飲む人花なら蕾 今日も咲け咲け明日も咲け」
「恋にこがれて鳴く蝉よりも 泣かぬ蛍が身をこがす」
「こうしてこうすりや こうなるものと 知りつつこうして こうなった」
情歌は連綿と杜に響く。
 
 ―都々逸といえば、二十六字詩であるが、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も著書のなかで都々逸を英訳して紹介している。例えば、「色は思案のほかとは言へどこれも前世の縁であろ」は、Love,it is often said has nothing to do with reason. The cause of ours must be some En in a previous birth.と。
この都々逸、明治時代から創作が盛んになっているが、なかでも団珍(まるちん)こと「団団珍聞(まるまるちんぶん)」という絵入りの風刺滑稽誌が一般から都々逸を募集したことが世間の人気を煽ったという。なお、団団≠ヘ公表をはばかる伏せ字の○○から来たものである。閑話休題―
 
そのとき、一転にわかに暗雲が空を覆うや、激しい雨が降り襲い、地面を掘り返す。稲妻が辺りを明るくした瞬間、藁葺きの拝殿は火を噴き、すさまじい轟音が鳴り響いた。陳老と珍宝は十米も飛ばされ倒れたまま動かない。
 
 たそがれどきの薄い夕闇、鎮火するも焼け野原に化した一面に靄が立ち込め、淀の川面を流れる風を受けながら一艘の屋形船が現れ、船上には観音菩薩かにも見える遊女が佇む。どこからかともなく、ち〜んち〜んと、リンの哀しげな音、そして低く声明が聞こえてくる。遊女がその手に抱えた酒壺から陳老の口に聖酒らしき液が静々注がれた。

 しばらくして蛍が一匹、二匹上へ下へと暗闇の中に光りを点滅し、さ迷い始める。野草に宿る露ほどの儚い命を鎮魂するかのように。源氏蛍であった。
「世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に 心とむなと思ふばかりぞ」(了)

 

 
 




 

                 
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